馬のち晴れ

乗馬、競馬、うまに特化したブログ

race17.血統の歴史〜種牡馬ノーザンテースト〜

ride8ラムタラの話を少ししましたが、

日本競馬はラムタラのように海外の馬を輸入して成長してきました。

やっぱりどこかで今までとは全く違う血統を入れないと近親配合ばかりになり血が飽和状態になってしまうからです。

近親配合をしていると、

天才型も現れることがあっても病弱な馬が生まれやすくなったり、

極度の近親は倫理的にも問題にもなってきます。

その末は競馬界の衰退しかありません。

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今回は現代の日本競馬の礎を築いた種牡馬について書いてみます。

日本史や世界史のような感覚でお読みください(^^)

 

 

1.近代競馬を最初に台頭したナスルーラテスコボーイの輸入

ナスルーラ系はrace2で三代始祖の話をしましたが、

そこに出てくるダーレーアラビアンから派生した血統のひとつです。

日本では1954年に国営競馬として発足し、

高度経済成長期にあたる60年代〜70年代に現代に繋がる競馬がどんどん発展していきました。

世界的勢力にあったナスルーラ系の、

テスコボーイという馬が日本にも輸入され発展を遂げます。

軽種馬農協が出資して輸入し、

北海道の日高地方中心にナスルーラ系の血が広がっていきました。

日高地方は競走馬発祥の地で個人で馬を生産する牧場が今でもたくさんあります。




2.牛のような馬と言われたノーザンテーストの登場

社台グループのノーザンファームというクラブは、

現在の競馬界を牛耳ってると言っていいくらいに強い馬を所有しています。

 

社台ファーム(現在のノーザンファーム)は北海道の安平町にあり、

テスコボーイに対抗して1976年に

ノーザンテーストという馬を輸入しました。

創業者の吉田善哉は、

当時世界で勢いのあったノーザンダンサーの血を求めて、息子である吉田照哉

アメリカでノーザンダンサーの血を引く良い仔馬を買ってこい!」と命令を下しました。

そこで照哉が購入してきたのがノーザンテーストです。

しかしあまりにもサラブレッドと言い難い容姿に善哉は

「よりによってなんで牛みたいな仔馬を買ってきたんだ!照哉の購入失敗に嘆いていました。

仔馬で購入したため競走馬としても過ごしたノーザンテーストですが、

主に欧州に遠征してレースをしており、生涯成績は20戦5勝で目立った活躍はしませんでした。

 

見た目はサラブレットと言い難く、競走馬としてもあまり活躍しなかったノーザンテースト

ですが、種牡馬になって返り咲くのです。



3.社台と日高

ノーザンテースト種牡馬になって返り咲くというより、

照哉の相馬眼通りと言った方が正しいかもしれません。

先にも書いたように当時は日本の主流はナスルーラ系やパーソロントウルビヨン系で、

日高地方に勢いがありました。

それに対抗し、いち早くノーザンダンサーの血に目をつけたのが善哉で、

大きな成功を収めることになったのです。

しかし日高でも、社台に対抗してノーザンダンサー系のニジンスキーの子、

マルゼンスキーをお腹に宿した繁殖牝馬を輸入し、

ノーザンテースト初年度産駒よりも早くにノーザンダンサー系の子を日本で走らせました。

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このように競争し合ってノーザンダンサーの血が広がるのですが、

ノーザンテースト産駒の勢いはニジンスキー産駒のそれよりも優れており

父・母父としても確固たる地位を築いていきます。

 

ride8ラムタラも日高におけるその中の一頭だったのですが、

日本の環境では種牡馬としての発展が難しかったのです。

ニジンスキーのラストクロップであり、

33億円もの大金を支払うもそれは回収できませんでした。




まとめ

■近代競馬を最初に台頭したナスルーラ系のテスコボーイ

軽種馬農協が出資して輸入し、北海道の日高地方中心にナスルーラ系の血が広がります。

日本は高度経済成長期で競馬界も発展していきました。

 

ノーザンテーストの登場

善哉の一声で照哉が渡米し購入してきたノーザンダンサーの血を引く馬がノーザンテーストでした。

見た目と競争実績とは裏腹に、偉大な父となったノーザンテーストは競馬界を圧巻していきました。

(当時、牛、やぎ、犬に例えられてたとか…

確かにかっこよくはないけど愛くるしさがあると個人的には思います。笑) 

 

■社台と日高

対抗し合うことで血の飽和を招いたり、打開したり、強い馬を求め切磋琢磨してきました。

馬産地での競争は、時に協力し相互扶助されながらサラブレッドの発展へつながっているのだと、私は思いました。